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【DDLC】モニカは一体何を選んだのか、という話【ネタバレ注意】

※注意!

この記事にはPCゲーム「Doki Doki Literature Club!(ドキドキ文芸部)」(以下、DDLC)の重大なネタバレが含まれています。ゲームを最後の最後までプレイしていない方、あるいは未プレイの方はこのままブラウザバックすることを激しく推奨します。

 

 

↓この先スクロールしたところにアイキャッチ用のモニカが出るまではネタバレ要素無しです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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はい、可愛い。

今回は作品中の多くの情報を整理し拾うため、wikiなどで予め詩や台詞などを見返せる状況が好ましい。(wikiのURL→https://wikiwiki.jp/doki-doki/%E6%94%BB%E7%95%A5)

 

 

 

というわけで、今回はモニカの話。

まず、DDLCという作品は、本当にプレイした人によって数多くの意見、感想の分かれる作品だろうと思う。

なぜか。

それはひとえに、己の「選択」と向き合う作品だからなのでないだろうか。と、僕は考える。

この作品の根幹にあるものを3つ挙げろと言われたら、僕は「愛」「矛盾」「選択」と答える。今回はそのうちの「選択」についての話だ。

 

さて突然だが、「あなたの人生において、好きなものを今3つ挙げてください」と言われたら、どんなものを思い浮かべるだろうか。

ある人は金、ある人は本、またある人は家族と答えるかもしれない。

そういった人間の「好き」には、必ず理由が存在している。

理由が見当たらない場合は、おそらくまだその人の中で「好き」という気持ちが言語化されていないのかもしれない。

大雑把に言うと、「好き」の根幹の部分にあるのはその人自身にないものの存在だ。

その人の心の欠落を埋めてくれるもの。それは未知への探求だったり、秘めた傷を癒すものだったり。

では、DDLCにおけるモニカは一体、何を理由に「僕」のことを好きになったのだろうか。

モニカの心に欠落していたもの、それは実際にプレイしてあのJust Monika(以下、モニカ空間)に辿り着いた方々には当然お分かりだろうが、「Doki Doki Literature Club!というゲーム」の世界に強く関係したものだ。

では、モニカが惹かれたもの、「僕」にあってモニカにないというものとはなんだったのか?

例えば、真っ先に思い浮かぶのは"孤独"だろうか。

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これは、おそらくモニカが第4の壁を超えたのを明確に知覚した際の"悟り"の詩だろう。

モニカはずっとあのゲームの中で、ある瞬間から自分以外の全ての存在がゲーム上のプログラムであり虚構であるということに気付き、その孤独をずっと抱えて生きていた。

では、果たして主人公である「僕」はそれを埋められたのだろうか。

僕は、そうではないと考える、

結局のところ、モニカ空間に辿り着くまではゲームのシステムらしきものに阻まれ、ゲームの仕様上の攻略対象ではない彼女と仲良く話そうとすると何らかの壁が生じてしまう(2週目、モニカと話している間にどんどん暗くなっていく演出など)。

そのため、ゲームに捕らわれている間のモニカの孤独を解消できていたかというと、答えはNOだろう。

そして、モニカ空間ではより直接的に孤独を分かち合うことはできない、という話が入る。モニカ空間突入からかなり最初の方に話される「あなたにも理解してもらえないこと、それは私の孤独よ」という旨の会話がそれだ。

モニカは寂しさを感じてはいたものの、その行動の根本は決してそこに依存したものではなかったと言える。

 

では再度考えよう。「僕」にあってモニカにないもの。

もっと言えば、「プレイヤー」にあって「キャラクター」にないもの。

それは、"選択肢"ではないかと、僕は思う。

モニカは詩などを通して、「私に選択の道はない」という旨の情報を幾度となく「僕」に伝えようとしてくれていた。

先ほど貼ったモニカの詩からも、それは読み取れる。

『無限の選択肢を持つ穴。私はそれを覗いてはいなかった』

この1文からでも、プレイを終えた今ならモニカがどういう立場であったのか窺い知れるというものだ。

そしてもう一つ、モニカが選択肢を持てないことによる決定的な歪みが出ていた部分を我々「プレイヤー」は2週目以降で目にしてきたのではなかっただろうか。

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これは、このゲームで最初に出る"モニカからの選択肢"だ。

もう言うまでもないだろうが、これはおよそ通常のゲームと比べて選択肢と呼べるものではない。

選択肢を選べないモニカにとって、それを作ることがいかに難しいことだったのか、想像に難くはない。

他にも「モニカだけ」や空白のウインドウに「はい」「いいえ」だけが浮かぶもの、画面中の選択肢が「モニカ」に変わる場所など、2週目以降から現れるモニカの好感度に関わる選択肢は全て正気とは思えないものになっていく。

 

そうしてモニカの内なる歪んだ"選択"への認識を目にすればするほど、"選択肢"を自由に選んで目の前の3人の女の子と仲良くなっていく「僕」が目の前に現れた時の思いを嫌というほどに感じさせられるのだ。

モニカは「僕」に惚れるべくして惚れ、恋に落ちた。

そこから先はDDLCのゲーム中の通り、選択肢を選び選ばされ、そして3週目のモニカ空間へと突入していくこととなる。

モニカ自身の言う通り、モニカ空間は彼女の手で強引に作り出されたエンディングだ。故にEDテーマは存在しないし、スタッフロールが流れることもない。

そして、モニカ空間に辿り着いたプレイヤーはある選択を迫られる。

「モニカを消すか、消さないか」だ。

作品を進めるか、モニカに向き合うか。

これは、どちらを選んでもゲームとして間違いではない、と僕は思う。

だが今回は作品としてのDDLCに向き合うのであれば、「モニカを消す」話をしなくてはならないだろう。

キャラクターフォルダから「monika.chr」を削除し、モニカ空間は終わりを告げる。「僕」に選択を強いたモニカは、最後に「僕」の盤外での選択によって敗北し、消滅する。これがあの空間での、"モニカを消す"という選択の結果なのだと僕は思う。

 

では、モニカは最後まで何も選ぶことのできない人間だったのだろうか?

それも、僕はNOだと考える。

そう、モニカは1つだけ、DDLCにおいて自分の手で選択をする場面が存在したのだ。

それは、モニカ空間で「monika.chr」を削除され、消えゆく存在となった時のこと。

そこでモニカは自分の行動を振り返り、後悔し、自分自身と向き合った。 

そうしてモニカはある選択に行き着くのだ。

「自分が壊してしまったゲームを復元するか、復元しないか」だ。

あの場面では、モニカはゲームを復元しないことも選べただろう。

だが、そうはしなかった。

モニカは最後の最後になってようやく、自分の手で文芸部を選んだのである。

 

こうして、DDLCというゲームは幕を下ろす。

選択という力を持たず、自身に居場所のない世界を壊すことしかできなかった人間が、最初で最後の選択で「僕」と彼女の友達と文芸部を守った。

故に、モニカの愛は確かにあったと、僕は思わずにいられないのである。

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